月別アーカイブ: 2012年3月

ロボットと対決!

 歩行誘導 盲導犬ロボットは予め歩行プログラムを
コンビューターに打ち込んでおきます。
今日の体験では七メートル進んで、
其処で回れー右して帰って来ます。
先ず電源を入れ歩行先のボタンを押します。
ロボットはゆっくりと始動して行きます。
途中 スタッフさんが歩行ルートに飛び出します。
ロボットは其れをセンサーでキャッチして止まります。

 ふん ふん 此れくらいは朝飯前!と、
トレ君 動じてません。
七メートル地点に来るとロボットは
徐に方向転換して 元の地点に帰って来ます。
 
 段差は五センチか十センチ程度は
乗り越えられる?そうです。
 障害物は避けられるが、下る段差は止まりますか?と
質問が飛びます。
在る物を避けるのは簡単だが、
無い物をよけるのは果たして如何なんでしょう?
 トレ君は俺なら出来る へっちゃらさ!と
言いたげです。

 此の誘導ロボットでは公道では無理ですが、
美術館や水族館 説明をしながら館内一回りの
プログラムを入れておくと、
ガイドロボットとしてとても良いかもしれません。
 うん うん! そうそう とトレ君も
其の意見に納得 賛成を表明です。

 ロボットを立てて!トレ君も満足
歩行誘導 盲導犬ロボットの体験でした。ワン
 

盲導犬ロボット

 日曜日 岡山のアイヘルスに行きます。
雨になりましたが、会場は駅から屋根つき陸橋で
濡れずに続いて行けます。

五階の会場に着きます。
沢山の人でごった返し。
電子音や音楽も流れ かなり騒々しいです。
福祉機器を見て回ります。

 午後午後二時から楽しみな
歩行誘導 盲導犬ロボットの体験です。
素晴らしい性能ならトレ君 失業です。
ロボットを前にして、トレ君緊張!

 開発技師さんから 手で触らせて貰いつつ
機能や操作の説明を受けます。
盲導犬の飼育よりロボットの方が安く上がります。
と、技師さん挑戦的な事を言います。
益々 トレ君 いじけます。

 ロボットは電動車いすを改造して作ったとか・・
カート型で前方にカメラやセンサーが付いています。
トレ君 大丈夫 見かけ、容姿はトレ君の勝ち、
ロボットは余りお洒落じゃありません。

文句は言ってみるもの・・

 種や小さな苗を貰っても
花を見ず仕舞いに成ってしまう!と おっちゃんに
文句を言います。
そしたら 次の日、株分けをして、持ってきてくれます。
白い大きな花が咲いたクリスマスローズです。

 僕は白い花は何とか見えます。
おっちゃんは珍しい黒い花を持ってる!と、
とても自慢げ!
だけど僕は見えない花には 大して興味無し。
白い花を貰って満足、満足

其れまで見えてるか・・・?

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 近所のクリスマスローズ愛好家?
とても珍しい種類も沢山育てているおっちゃん
種を取っといて上げるから!と、言います。
種を蒔いて育てなさい!と言ってるのです。
 そうですね。其れも園芸のたのしみでしょう。
だがクリスマスローズは種を蒔いて花が咲くまで
4年、5年と掛かるのだとか・・?
 其れでは命が有るか無いか・・
命が在っても 視力があるか?どうか?

 そう言うと、おっちゃん、
自分で蒔いた2年物の苗をくれます。
此の頼り無げな苗、果たして来年
花を見せてくれるでしょうか?

バラなの!

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十年ぐらい前から流行り始めたクリスマスローズ
田舎の園芸店にも様々な種類が並び始めます。
 どれを観てもバラって感じの花姿では有りません。
どちらかと言うとチュウリップ?下を向いてますが・・
キキョウの花にも似てますが?花弁が堅そうです・・・
 新しい品種か八重咲きもでまわり、
白の咲き掛けの花は くちなしの花に似ています。
いずれにしてもバラって感じじゃ有りません。
葉っぱだって違います。
小判型では無くって
八手のようで トゲトゲと尖って、
がさがさと乾燥してます。

 何故 クリスマスローズと名づけられたのでしょうか?
日本では春先に咲きますが。
西洋ではクリスマス頃にさくのでしょうか?

恩師を偲んで・・

 思い出の数々を思い出し偲んでみました。

 思い出は数限りなく、山ほども在る様な・・・
走り去って行く車窓の景色のように、
直ぐ消えてしまう 儚さを感じたり・・・
 これから、もっともっと多くの思い出を
作り始めたばかりだったような・・・。

覚悟でした・・

 昨年の5月 突然 先生から帰省の知らせがあり、
地元の きささげの仲間に連絡を入れます。
平日の事も有って集まりは少なめでしたが、
先生は先生お得意の社会に対する苦言を
いつもの様に元気に言ったりしてました。
 神田さんが点ててくれたお抹茶を頂いて、
横浜にも行きたい!温泉できささげ会の集まりを・・!と、
来る日の事で盛り上がったりもしました。

 年末ごろから先生の具合が思わしくない!と、
お聞きしたので電話をします。
 何とか男の平均寿命までは生きらいや!
など言ってます。
先生は77歳、未だ3年は大丈夫ですね。
それでは温かくなったら会う機会を作りましょう!と
言って電話をきろうとすると、
先生は ありがとう!と、言います。
僕は はっ!とします。
先生は此の世との別離を覚悟したのだ、と
感じました。
 
 さようなら!安らかに・・・

 KON先生が退職された頃から
奥さんは陶芸教室に通うようになります。
其の頃 僕も陶芸を始めます。
同じ頃 互いにパソコンも始めます。
新作を画像で送り、批評をし合うメル友に成ります。
やっと 自分の気に入った作品ができたわ!って、
奥さんからメールが来ます。
自分の境地が開けたのでしょう・・
でも 其の作品の完成画像が届かず
奥さんは 彼の世の人に成ってしまいました。

 奥さんを亡くした先生は、
気楽に美術散歩を楽しめる都会に
住まいを移されます。
 時折 我らが美術部準備室に
そんな様子が投稿されましたね。
 それに きささげ会メンバーの東京組みとも
美術館見学、スケッチ、居酒屋放浪と、
交流もたのしまれたようです。

 しかし不幸にも不治の病にみまわれます。
闘病の合間に帰省され、
連絡を貰った我らは、其の度、
ささやかな集まりを持ちました。

奥様の逝った時

3月11日 今日は朝からテレビでは
昨年の東日本大地震の記念放送が引っ切り無しです。
 我が家でも若くして逝った甥の一周忌でした。
きささげ会のメンバーも僕の知る限り、
早くも5人が逝きました。

 ふる里への便り展”成功の内に終わり、
きささげ会 も此れで一区切り感でした。
KON先生ご夫妻と僕と三人で
打ち上げ&慰労会をしました。
展覧会で頂いていたお祝いを其れに使ってしまいます。
公金横領に成らないか?と先生は言いましたが・・
僕の顔で貰った物だから!と、お世話に成った先生に
美味しい物を食べて頂きました。
 ちょっとした親孝行!そんな気分でありました。

 其れから数年後、奥様が急死されます。
我らに弱いところを見せない
奥様にも威張っていた先生でしたが、
寂しい!と、涙を零し 僕らの前で泣かれました。
先生の気持ちを思うと共に、
高校時代から姉の様に母の様に我らの面倒をみてくれた
奥様の死はことさら悲しく涙がとまりません・・

古里へ書いた手紙

あっちこっちを当って ふるさとへの便り展”
開催の運びと成ります。
 展示は平日だったので大丈夫かな?と、思ってましたが、
KON先生の参加が有ると言う事で、
思いの他 沢山が駆けつけてくれました。
 其れなのに僕は指の怪我が化膿、
其の日の朝 切開手術と成ってしまいました。
 手術が終わり掛け付けますと、
大きな先生がケースの中に入って頑張ってくれてます。
何時までも当てにしてるんだから!と、先生は言いますが、
いつもの様に張り切ってます。
本当に最後までお世話お掛けしましたね。
長生きして頂こうと頼ってるんですよ!と・・・
甘えた事を言ってみたりしました。。

 作品は 紙の資料館の館長さんが期待した様な、
文学的に古里の思いを綴った物は少なく、
ちょっとがっかりさせていましたが、
ムードが変わって面白かったです。
 会期はお正月を挟んで一ヶ月間でした。
無理をお願いして お正月休みの3日に明けて頂き、
お正月休みで帰郷の皆さんと鑑賞会&
久々の新年会もやりました。
先生にとって最後の教え子 孫弟子も参加で
きささげも脈々と続く感在りでした。

 我が故郷
我が故郷は何処にある。
我が故郷は 父母にある。
父母亡き後は 何処にある。

父母亡き後は 庭にある。
母の匂いの花が咲き
父の植えたる木々がある。

我が故郷は何処にある。
我が故郷は庭にある。
小鳥の巣くう木々の下
今日も父母を思うなり。

・丁度 僕は父を亡くしたところだったので
 こんな故郷を思う詩を出品しました。