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変貌する風景 其の5

戦後 20年も過ぎると 田舎にも自動車文明が 押し寄せてきます。 それに伴い 当然のごとく 道路が 田畑をつぶして 網の目のように広がり始めます。
 広がる水田 水かがみなど 過去の風景になり 水路も道路も コンクリートで 緑の風景が 味気ない グレーに変わっていきます。
あっちこっちに 倉庫や アパートが立ち始め 秩序が失い始めます。
 そして 高学歴社会になり 高校進学 だいがくへと 若者の 目が都会へと向き それも手伝っ我が町も 都市の 端っこのような 益々 農業から 緑の田園風景 などから 離れてしまいました。
そのころ 瀬戸大橋が 掛かり 高速道路が通り インターへのバイパスが抜けて 何処の町にもある 中古車センターとか大きな看板の チェン店が次々と 立ち並び始めます。 そして 今回問題の 大型ショッピングセンターが 開店したのです。

変貌する景観

 だんだん 川底が低くなり 戦後辺りでは 水田に 水を引くため 川から 足踏み式の水車を回して 川の流れから水をくみ上げていたころもありました。  日照りが続いたそんな時には 世同士 水車を踏み続けなければいけなかったそうです。 真っ暗な 夜 眠気を我慢していると 何処からか 狸の子供が遊びに来て 水車回しをしたがったとか・
 その反対に 村の酒井には 一番大きな 川が流れています。 京の都から流された 皇子の話が伝わっております その川は 山からの 土砂で どんどん包みを高くしていったのか 随分と 高い天井川です。 流された 皇子はどのあたりまで 船が昇ってきたのでしょうか? 今は 川 幅も狭くなり 川原さえできています。 子供のとき 砂遊びなどしたものです。
土手には お地蔵さまが まつられているところもあります 川の流れで 事故があったのかもしれません。
そんな 幼い時の景色も 成人するころには 水の流れも 少なくなり ゴミがたまり 橋の下には 乞食が住んで至り どんどん 汚くなっていました。

変貌する風景 其の3

 忘れられてあるベンチとわが家の間には いったん盛り上がって 深く掘れた所に 暗い河があり そして また盛り上がったところに わが家があります。
 その深い川から あちらには 子供のころは行かないようにと言われていました。 深い河の 川渕には 猫柳の木や 何かの草木が茂っていまして 大きなドングリの木の下に この辺では見られない 形の墓石が 川に沿って並んでありました。 土葬の痕跡のある 墓地でもあり 雨の降る余波 ぽーっと青いリンが 燃えて 飛ぶのが見えていました。 昔 このあたりが 戦場であったとか この墓は もしかして その時のうち時にした 武士の歯かでしょうか部屋から そこが 抹消面に見えるので 夜は なるべく そちらを見ないようにしておりました。
 そんなにも でこぼこした土地のような気がしておりましたが 現在は 駐車場など広々として 平面のコンクリートになってしまいますと 思いのほか 距離が ちじまって 子供のころ あちら側に行かないように と言われてたことが へんだなぁ と思える様相です。
 スーパー マーケットの総菜売り場が わが家の台所とつながっているような 気さえしてしまうのです。
 

変貌する風景 その2

 清らかな水の流れる小川は 今は メイン道路に埋まって 姿を隠しています。
昔は その 小川の土手には 蓮華の花が咲き始めていたことでした。  村全体が 山から緩やかに瀬戸内海へと つずいていたので 何処にも少しづつの 段差があり 春には春の草花が目を出し花を咲かせて至 蝶が舞い  トンボの群れが小川の水面をかすめて 飛ぶのを追っかけたりしていました。
 蓮華畑が たがやかされ 田植えの準備に 水が張られると 水かがみが前面に広がり 小さな段差ながらリズムのある風景で 一瞬に べ世界を見せていました。 秋には 真っ赤な彼岸花に彩られた 大胆な モザイク模様の風景に代わり そして 金色の実りの秋を迎えるのでした。

変貌する景色

 先ほど 激しい雷雨でしたが 上がったようなので 散歩に出かけました。 道は 水たまりで バシャバシャしてました。
 まだ 取り残されてある ベンチで休憩です。 子供のころには 今目の前の メイン道路になっているところは 田んぼだったし その向こうには 清流の流れる 小川がりました。  その もう一つ向こうは 我が家の 田んぼでした。 だから 親について 田んぼに来た時 この小川で遊びました。 此処から200mほど上流に  湧水が噴き出しているところがあり 其の 綺麗な水が流れてくるので 澄み切った川底の砂地に シジミが たくさんいたりするのです。  戦前には 近所に  肺病のおじいさんがいたので 体にいいからと 姉たちは そのシジミを拾って とどけてあげていたと 話していました。  石済みの間には プラスチックの おもちゃのような 赤い小さな 川蟹が隠れていたりします   それを 萱釣り草で吊り上げ遊びました。
 今では 何軒も無効になってしまいましたが その頃は わが 家まで は 一軒も家が無く 実と失せておりました。

変貌する環境 その5

一つ残ったベンチ 一大ショッピングセンターだった 我が家に一番近いスーパーが どんどん閉じられていく中で 新館と言われる建物の入口の 広い 久の下のベンチが一つ まだ残っています。  散歩帰りに そこで一休みします。 今日のように 冷たい風が吹くときでも 東時田が 建物でカバーされ 南から 西に代わる日差しが 陽だまりを作っていて 昼下がりの 休憩には もってこいの場所です。
 閉じられた新館の入口ですから ほとんど 人が歩いてはいません 時に 煙草を吸ってる 小父さんとか うらぶれた女性に 先取去れていることがありますが・・・ この頃は我らの指定席です。
ほー けっこうな 犬だな と 盆栽でも 眺めるような ぐあいに パク君に いったん見とれて立ち止まっていく年配のお父さんとか  きゃ かわいい かわいい と言いながら ちょっと遊んでいきたそうな 女性とか  ほら ワンちゃん ワンちゃんだよ とばぁちゃんに 教えようとするのに 引っ張って連れていかれる 可愛い坊やとか 時々に  我らに それぞれの関心を示しつつ 通り過ぎていきます。
 まだ 此処が新館の出入り口だったころには 幼稚園の絵画クラブの園児が 二人の子供の 母親になって 至り  昔の 同僚が 声をかけてくれたり 同級生が 老人の風采になりつつ有るのに出会ったり それぞれの長い 年月を見せてくれたりする そんな 場所でも有りました。 果たして このベンチは残されるのでしょうか!?

変貌する環境 その4

14日 東京で評判の 材料を同じくする ハンバーグショップが開店する と 友達が 教えます。 怪に行くつもりだから 買ってきてあげようか と 言いますので   まあ どんなものか 味見でも と思い 同じものでいいから と頼みます。 友人の目指すは ベーコンエッグのハンバーグです。 1800縁だといいます。 なに それ 高いじゃないの!? 東京 仕込みって そんなに高いのかい・・・ 最近 マックも言ったことがないし  値段の判断はつきかねます。  お願いしますの手が引っ込みますが   物は試しです。
 昼前に 怪に行ったが 混雑で とても買えなかった と電話が 田舎にも 物好きが多いようです。 僕は 並んでまで買ったりするほど 執着はしてませんし。 友人は 近くに ガレットの店ができた時も 若い人ばかりだったと言いつつも 独りで 食べに行ってました。
 その夜です 友人から電話です。 電話予約したから 明日の昼には届けてあげる と言います。 わー なんで そんなに 執着してんの!? 今日 15日の昼前 意気揚々と 買ってきたよー と 大声で届けてくれます。 目的の ベーコンエッグは 品切れで 普通の ハンバーグだが 1400円だ そうです。 ありがとう! ちょっと涙 おまけだと 10本ほどのポテトフライが・・ 潮がたっぷりかかっていて しょっぱいですー こんなおまけはいりません。
 2年前には とろとろ フワフア のパンケーキやさんが 昨年夏には 手作りの アイスクリーム屋やさんが  テレビの 朝一 で東京で今 押しの グルメ情報で流れている ショップが 田舎者の心をくすぐり続けるんだろうね!! わんわん ワンっきち

変貌する環境 其の3

 大型スーパーの撤退計画で 周りの テナントなどの 閉店が1月末で かなり 有り そちらの 駐車場も 柵がされたりしています。  ワン吉は 風よけに 又は日向ぼっこの 散歩などに 歩いていたところが 工事が始まっています。 通りかかると ドンガラドンガラ 壊している 音が聞こえます。  工事車も  あちらこちらの 音が響きあい どう 歩けば 安全なのか 分りかねますので 恐る恐るの 散歩になります。 道路工事のようにガードマンも 立っていませんし・・・ これからますます 工事が進むと思うと 散歩コースから外さねばいけないですかね!?
 跡地利用で いろいろううわさが飛び交っています。 もっと 大型の出店があるとか うれしい希望もあったり マンションになるとか言われたり レストランもできるとか みんな 自分の 希望的水量で いいような 夢を描いているかもです。

変貌する環境

  昨年の天候で 徒長した庭の木々を シルバー選定隊に 切り込んでもらいます。
 お隣から 庭のシンボルツリーに残してある 南京櫨を切り詰めてしまったら どう!と 言ってこられます。
 隣に面した中庭は  父が瓢箪池をを掘り 枝ぶりのいい松の木を植え 水辺風情を持たせツツジやツバキの低木に 時々の花も添えて 小道を巡らせ 季節を楽しめる 回遊式庭園の真似事のような庭を造り 楽しんでいたのですが・・・  父が逝ってしまってからは 松は 手入れが大変だから すくすくと伸びた ふゆなりは雷が 落ちるかも 夾竹桃や貝塚は 茂と 部屋が暗くなるでしょう とか いろいろ言われ切り倒されてしまいます。  そうそう 目の悪い ワン吉が落ちるかも などと 庭のイケも 埋められてしまいます。  この頃の風潮としては 庭は手入れが手間なやっかい物扱いです。  以前は 柿 イチジク 橙 枇杷など どこの家にも植わっていた果物も いつの間にかなくなって着ています。  そのうえ 手時価で間に合わす 葱 三つ葉 蕗  なども育てたりしていません。 
そんなことで 庭は駐車場のために整備され 草の生えないように コンクリートを張られ すっきりはするが 物寂しい 住宅地に なっていきます。
 我が家の 中庭は 一本のツバキの木と 南京ハゼノキが ぼっそっと 立っているだけの庭になってしまっています。 それでも 一本の 南紀櫨が 目障りなのか 着ればいいのにと お隣から シルバーさんに 言い張っています。
 その理由は 小鳥が集まってくる とか 蜂が巣を作るとか そんなことになっては 迷惑です。と 言う理由です。
あーぁ それでいいのか 和我らの青い地球は??

変化する環境

  昨年 暮れから 突然痛み始めた 歯の治療が 本日終了です。  正月の 餅も 何 痛みを 抑えてくれていましたので 何とか 食べられましたが・・・ これからは あまり 固いものを食べないように と ほかの葉も 痛み始めているしと 言い渡されます。
 豆板とか  飴とか こりこりする 柿とか 焼いた餅 などなど 歯ごたえのあるものが好きなんです。
   しかし自分の葉がなくなると 味が感じなくなりますよね せいぜい 歯磨きを念入りに 残った歯を大切に 生きていかねばです。
 しかし この 家から3分の歯医者さん スーパーの撤回と同時に 移転するのです。 そうです 此処はスーパーの い角の テナントの一部なのです。 隣の 薬局も 千円散髪屋も 旅行者も 全部 撤退です。 あ 公衆便所も 閉じられてます。  いままで 便利に使わせてもらった 所が 何もかも なくなるわけです。  見えなくなって こんなことになるとは これからの 行動計画が くるってしまいます。
 ご近所の皆さん 特に車の乗れない年老いた人たちは ワン吉も含めて  寄ると 触ると どうしたもんじゃろね と 不安のため息を漏らしつつ 途方に暮れるばかりです。