月別アーカイブ: 2011年11月

全盲?それとも見えてます!

 今日 役所に生活補助具の申請をしたんですが、
生活保護の申請ですか?と、イヤーな感じに言われます。
ふん!我が一族の繁栄を知らないな!
お前はもぐり職員か?と、怒鳴りそうになります。
其れは冗談として、朝の九時にも成っているのに
未だ寝ぼけ声の対応です。

 生活補助具の係りと変わります。
拡大機の給付を受けたいんですが?ってお願いすると、
ワン吉さんは見えるんですか?
見えない人には給付出来ないです。と、言われます。
 
 十月に同行援護の登録をお願いした時にはです。
ワン吉さんは盲導犬とかなり自立した歩行ができてますので
同行援護の支給は難しいです!と、言われました。
同行援護はヘルパーさんの代読、代筆が出来ると、有ります。
盲導犬は幾ら賢くても字は書いたり読んだり出来ません。
この分からずや!と、腹が起ったので、未だに登録してません。
ずーっと外出支援で頑張ってやります。
応能負担ですから安い単価の方が良いし!
ざまーみろ!です。

 こう言う反応って網膜色素変性症の症状が作用してるんでしょうか?
薄暗いともう見えないけど、
光があって、メリハリの有る風景だと見えたりするし。
視野狭窄で見過ごす事も多いが、
ポイントに入ると見えたりします。
それにしても、僕は全盲?それとも・・・

 あ−ぁ!役所の対応は何でこんなに
イライラさせるんでしょうか?
役所と愛称が悪いんでしょうか?

盆煎餅?それともポン煎餅!

 盆煎餅 覚えていますか?
戦後 間もない駄菓子屋では
子供のお八つのヒット定番です。
米粉をボンっとはじかせた顔ほどもある
しょうゆ味の煎餅です。

 我が家は母が駄菓子屋をやっていましたので
その中の割れてしまったのを貰って
毎日食べたような・・
 一銭商いのような店ですが、
僕の物心の付いた頃は、
流石に戦の付く貨幣も紙幣も無かったけど、
盆煎餅は一枚 五十戦だったかな?
一円のお金は在ったから、一円で二枚買ってたのでしょう。

 五十戦 飴ってのも在って、
其れも良く売れてましたね。
ニッキ味が売れ筋で、なかなか食べきれない大きさです。
ほっぺに入ると、こぶとり爺さんだと、
言い合って、おもしろがります。

 思いでは盆煎餅の様に膨らみます!と、
今 聞いている朗読図書にも盆煎餅がでて来ます。
盆煎餅って、あのお米を弾いて作るポン菓子の要領でつくるんですね。
僕はお盆の様に大きく丸いから盆煎餅って言うのだと思ってたけど、
もしかしてポン煎餅??
 

衝突したけど・・

 夕方 未だ明るい時です。
トレ君と散歩していると何かにぶち当たります。
だれだ歩道にこんな物を置いて、
僕は手で押し返そうとします。
でも 動きません!重い!
カートにプラスティックの物を積んでいるくらい!と、
思ったのに かなり大きいようです。

 わっ!気が着いてビックリ、
自動車にぶつかってます。
いつの間にか僕はT字路の真ん中に立ってます。
右からも左からも前からも車が来てます。

 最近の車はしずかです。
ままだライトも点けてないので見えません。
其れに誰も声を掛けてくれません。
歩道から車道にでてしまったトレ君と僕に、
音も無く車は突っ込んで来て、引き倒そうとしてます。

 はっと気が着いて、
前に移行にも 左にも右にも曲がれません。
三方からせねられてます。

 かろうじてあとづさりして歩道に戻ります。
すると、車達は何事も無かったように、
行き違えて行ってしまいます。
あ、あ、何だったんだろう!
夕暮れ時に悪夢に一人取り残されます。

三色もみじ!

 隣りの町との境目に
赤、黄色、緑と三色に色づく有名な
もみじの木の有るお寺が在ります。
山をひとつ越えて行きます。
山の中の小さな盆地に其の寺は在ります。

 我が家の辺りは全然紅葉は始まってません。
庭の銀杏やケヤキも未だ緑の葉を広げています。
気分転換にと誘ってくれた友達も、
「未だちょっと早いかも知れないね!」と、言いつつ、
軽いドライブのつもりで出かけます。
今日は日差しも有って温かです。
少しづつ元気に成って退屈している
術後のトレ君は久々のお出掛けです。

 峠に差し掛かると、友達の奥さんが、
あっ!此の辺に来ると綺麗!と、言ってます。
僕の目にはただただ暗い灰色ですが、
早くも葉を落とした梢の先が秋晴れの空に
突き刺しているのが見えたりはするので
紅葉から落葉に向かっているのを感じます。
でも 此の辺りは海抜三百メートル位です。
こんなにも違う物かと驚きです。

 そろそろ其のお寺です。
わー車がいっぱい、山間の狭い道に車が溢れてます。
何とか駐車場の端っこにスペースを見つけられます。
僕は此のこじんまりしたお寺が大好きです。
鄙びた色合いにひっそりと佇んでます。
狭い境内はもみじ見物の人で賑わってます。
あっちこっちの角度から眺め透かして、
カメラや携帯に納める人 人です。

 真っ赤なもみじと、大木の銀杏を背景に
名物の三色もみじの木が在ります。
秋晴れの空に向かって気持ち良く枝を広げ
赤、黄色、緑の葉を輝かせています。
 と、書くと、なーんだ見えてんじゃないか?と、
思われてしまいますが・・
全てが見える訳では有りません。
友達の説明やら、周りの人の声で感じるばかりです。
失った視力を切なくも思いますが、
トレ君と久しぶりに秋の風情に触れられた事に、
感動と感謝です。
此れが今年の僕のもみじ見物でした!

モダンもカレー カレーも進化する!

 素揚げした乱切り野菜の入った
スープカレー、新鮮な味覚でした。
其の店は倉敷近くで、なかなか行けませんでしたが、
近くなら癖に成って通ったかしれません。
僕は野菜とロールキャベツしか食べてませんが、
他にも面白い具材が有ったような・・
もう十年も前で忘れます。
オーナーシェフさんがカレーの鍋をかき回し過ぎ、
腱鞘炎で止めてしまい残念です。

 此の頃 カフェに焼カレーのメニューも進出です。
ドライカレーに溶けるチーズを乗せて焼いてあります。
其の侭では以前から有るカレードリアと変わりませんが・・
此の頃は 其のカレーの上に
進化して素揚げの野菜が乗っかったりしています。

 隣りの町のカレーショップが
ドライカレーで評判になった事が有ります。
其のドライカレーにも
最近は素揚げの野菜が付いてます。
此れって最近のブームですか?

 カレーショップのチェーンでは
物凄いトッピングの種類が有ります。
新メニューのカルビ典範カレー
うーん食べたい!

お外のカレー・・

 僕ら小学校の頃はまだまだ遠くの外出は無かったです。
修学旅行は松山で、其れまで松山も行く事は無かったです。
サザエさんの漫画に出て来る
デパートのレストランに憧れたものです。
 たまに連れて行ってくれるのは近くの
ちょっとした町です。
車社会の今なら毎週出かける圏内です。

 出かけると楽しみの一つは食事です。
レストランなんて言えるものは無く、食べるのは食堂です。
ほんの小さな食堂にもショーウインドゥが在って、
蝋細工の見本が飾られてます。
其れが其の頃の最先端、レストランに見せかける努力でしょうか?
タイルやカガミを使って精一杯モダンさも頑張ってます。
うどんに親子ドンブリが脇役で
ドンブリからはみ出す海老の天ぷらドンが右大臣
何と言ってもカレーライスが王様です。
とろーりと掛かったカレーの真ん中に生玉子が一個
大きな目玉を剥いて、豪華に落とされてます。
お隣りで黄色に真っ赤なケチャップの華やかな衣装を魔とって
寄り添うオムライスはお妃様です。

 近所の家族で連れ立って出掛けた時、
大体はうどんを食べます。
少し張り込んで狐うどんです。
僕はどうも其の頃のうどんが苦手で、
母にねだってカレーライスを注文して貰います。
他の子もきっと食べたいでしょうが、
兄弟姉妹と二人、三人と子供が居るので、
うどん以外は無理の様です。
イリコ出汁の湯気の中で、一人っ子の僕だけが
魅惑のスパイスの香りをさせながらカレーをたべるのです。
当然 白い目があっちこっちから僕を刺します。
それでも僕はカレーライスを食べます!

 

かあちゃんのカレー

 十才も年下の友人ですが、
子供の頃のカレーは肉無しで
竹輪が入っていた!と、言ってます。
随分遅くまで竹輪カレーが普及してたんですね。
 
 僕は戦後直ぐの生まれで、
幼い頃はまだまだ復興期です。

田舎で農家は自給自足の生活です。
 我が家の母の作るカレーも竹輪です。
それから魚肉ソーセージやハムになっていきます。
 一度 炒り子が入っていた時は閉口しました。
カレー風味の味噌汁みたいです。
僕は大の炒り子嫌いです。キラキラ光る皮が在るだけで
もう 吐きそうになります。
カレーは食べたし 炒り子は恐し!
カレーの中の炒り子の破片を取り除くのに悪戦苦闘
じぃちゃんは炒り子も栄養が有ると言って取り合ってくれないし、
二度と食べたくないカレーです。

 田舎にスーパーや肉屋が出来るのは其れからずーっと先です。
其の頃 肉と言えば、
飼っている鶏を自宅で絞めて、
其れが唯一の肉です。
 其れだって何年間に一度の事です。

 在る時、親戚から鳥を絞めたから食べに来い!と、
およばれの知らせがあります。
父と僕で喜んで飛んでいきます。
大人には鳥鍋、子供には鶏肉カレーが用意されてます。
でも、其の鳥って、
障害が有って、其の家の庭をひょこひょこと歩いていた鳥です。
肉を口に運ぶ時、其の鳥の悲しい様子が目に浮かび
とても食べ難かったです。
ありゃ遺憾のー!と、父も渋い顔で帰ります。
肉は元が判ると辛いです。

 それからインスタントルーもどんどん進化して
家庭のカレーも風味が増します。
僕がカレールーに煩くなると、
母はカレー作りを止めてしまい、
今日はかれーだよ!と、言った夜は、
流しにジャガイモ、玉葱、ニンジンが置いてあります。
僕は玉葱に涙を流しながら、
自力でカレーを作ります。

 かあちゃんはカレー作りを放棄です。
そのままあの世に行ってしまいました。
貧しい竹輪のカレーも懐かしい此の頃です。

パリもカレーライス

 四十年も前ですが、
ちょっとの期間 パリに住んでた事が有ります。
モンパルナスのババンの地下鉄の駅を上がって、
ちょっとリュクサンプールの方向に歩いた所に
インドカレーのレストランが在ります。
一人で何度か行ったのですが、
いつもテラス席でカレーをちゅうもんして食べました。
ギャルソンに ストロングだけど大丈夫!ってしんぱいされましたが、
日本のカレーが煮詰まったような感じです。
ライスもパサパサしてたけど美味しく食べられます。
味と言えば当事 日本で売っていたカレーパウダーの味でした。
 一度 夜にフランス語の出来る仲間と行った事が有ります。
奥のテーブルでディナーぽく食べたと思うのですが、
内容はすっかり忘れてしまいました。
ターバンを巻いたインドの衣装が二人で、
シタールと縦笛の演奏してました。
ムードは本場のインド風でしたが
手でカレーを食べる事は無かったです。

 それにサンジェルマン デ プレーの裏に
中華のお店がカレーライスをランチに出す!と言うので
ボザールの友達と一度行きました。
カレーはざぼっざぼとしていた様な?
付け合せにバナナのフライがついてまして、
物凄く満腹感を味わいました。

 また、カルチェラタンはソルボンヌの近くには
日本人がやっている古本屋が在って、
片隅でカレーライスとラーメンを食べさせていました。
正しく、日本の固形インスタントルーで作った
懐かしい味でした。

悲しい高級レトルトカレー

 ノートで貰う引き出物の中に
レトルトカレーが在ります。
三種類ぐらい在ったと思いますが。
どうせ貰う物だから!と、一番高級なのにします。
一万円相当の引き出物です。

 一週間もしたら届きました。
小さなダンボール箱にレトルトの袋が
14個、無造作に入っています。
簡単に計算して、一袋七百円もします。
それなのに、ギフトと言えば過剰包装で勿体つけてるものですが、
此れは味気無い限りです。

 其の時点でがっかりしていたので、
食べて もう一度がっかりです。
へー、これが高級な味ですか?、?
お裾分けした姉や姪は
高級な特別スパイスを使っているから、
庶民の我らに合わない!と、言うのです。
そうなんですか??

 スーパーには沢山のレトルトカレーが並んでいます。
百円から五百円までの感じです。
僕は一人暮らしに成ってレトルトを愛用してます。
百円のは物足りないけど、
二百円から三百円の物が美味しいです。
あ、其れぐらいが我ら庶民向けと言う事で
口にあうのですか・・

ライスカレー悲話

 ライスカレーを思いっ切り食べたい!と、
我らが視覚障害のメンバーのKさんが言ってます。
三年ほど前に母親を亡くし、
ご飯を作ってくれる人を失ったのです。
同じ敷地に兄さんの家族が住んでいて
其の兄さんも続いて亡くなったのです。
兄さん存命中は少しは義姉さんも面倒はみたのでしょうが・・
兄さんが亡くなると、気に入らなきゃ出て行け!って
全盲のKさんを追い出しかねない勢いで毒づくそうです。

 Kさんは母さんの作ってくれた
温かいご飯にたっぷり掛かったカレーを
シー ハー と掻き込んだ其の日が懐かしいのでしょう。
母さんは「たんとお食べ!」と、山盛りについでくれたでしょう。
何倍でもお変わり出来たでしょうね。
Kさんは70歳近いオジサンです。
昼と夜は弁当を取ってます。
冷めた弁当を食べながら、
幼い子供の様な そんな夢をみてるんですね。