月別アーカイブ: 2012年4月

わんわん お遍路‐1

4月1日 日曜日 晴天 気温6℃〜

 先輩ジョイ君はわんわん遍路に行ってます。
今日は我が家の近辺 60〜64番札所なので
トレ君もお供です。
 先ずは三大難所と言われている
60番 横峰寺からお参りです。
気力と体力の有るうちに行かねば・・
 我らはジョイ君のパパさんが運転するマイカーでの
お参りですから、順番どおりの真打でもまた逆打ちでもなく、
都合を考えてですが勝手な 乱れ打ちです。
 わー大変 伊予小松から随分と深く山に入っていきます。
行き交う事も出来ない林道を石鎚さんへと押し入って行くと
人家も途絶えて、やっと在りました。
 駐車場に降り立つと ブルブル寒い!
山の澄み切った空気は未だ冬のようです。
ジョイ君一家は冬のコートで準備万端OKですが、
僕はコートをやめてジャンバーにしてきたので冷えますね。

 駐車場から五百メートル谷へ下っていくと本堂です。
ウグイスの声に励まされて綾織の坂をすたこら下って行きます。
すれ違うお遍路さんは、
頑張ってね!偉いね!と、ジョイ君トレ君に声を掛けてくれます。
わんわんお遍路さんは大張り切りで参拝です

それから X X

 それから 
いろいろ有ってトレ君とは早や五年!
65才になってしまいます。

 65才に成ると障害者支援が受けられなくなって、
認定の難しい 介助の受けら難い そして高い
介護保険に切り替わってしまう!と、言う。
とても不可解な制度と今は戦っています。
 それと二十歳から一生懸命掛けてきた国民年金が
障害年金を貰っている貰えない!と言う
不思議な事も在ります。
少ない収入の中から掛けて来た努力が
何処にも報われません。
これは取り付く島も無い制度で、泣き寝入り!
戦う前に敗れてます。

 視力も体力も悪化して行く中で
福祉機器への挑戦が有ります。
 先に買った音声ガイダンス付きテレビ
未だ全然 使いこなせません。
 プレクストーク・リンクポケットが
もう直ぐ届きます。
サピエ図書が自由に聞けます。
果して使いこなせるでしょうか?
 65才は福祉機器の達人に成る事から
始まります。
其処から どんな世界が広がっていくでしょうか?

 65才の境目でバリアフリーアート展を企画しました。
其れからアートへの誘いも増えてます。
此方も思わぬ広がりが有るかも知れません!

 65才大も戦いは終わりません。

幸運を運んで・・・

 トレ君が来て 一週間目ぐらいのある日
トレ君 広告のモデルに成りませんか?と、
訓練所の所長さんから電話です。
東京で撮影だけど行けるかな?
行けます。行けます。行きましょう!
視力が悪化して東京とも遠のいています。
願っても無い機会です。
 撮影はお台場の水と緑のプロムナード
とてもお洒落な所です。
 5大全国紙や経済誌にページ一面で
大きく広告は掲載されました。

 其の時のトレ君のモデルぷりが良いって事で
次の年の北京オリンピック聖火ランナーに
スポンサー推薦されます。
 トレ君が我が家に来た時、
アレー此の子 愛犬ダン吉に似てるね!
と言われます。
ダン吉くんは爺ちゃんに似てました。
爺ちゃんとダン吉が
僕を守ってくれているのでしょうか?
其れからも幸運な事が次々と起こります。

健康的に・・

 トレ君との共同訓練は金剛山の山の麓です。
日本のチベットと言われている寒い所でしたが・・
其の年は奇跡的に温かな冬だったので助かりました。
 訓練を終え帰って来た2月5日の我が家の庭には
梅の花が咲き誇り、水仙が甘い香りを振り撒いていました。
その下でトレ君はトイレをして我が家の子に成ります。

 若いトレ君の来た我が家は 其の日から活気に満ちて
明るく元気な家に成ります。
 朝は起きると直ぐ散歩をして、朝食を食べ、
グルーミングをして、また散歩して、
一日中忙しく過ごします。
 視力が悪化して余り動か無くなっていた僕は
メタボで高血圧や何かと悩んで折りましたが・・・
見る間に体重は落ち、血圧も安定し、
健康的になっていきます。

家族を・・

 父が逝って 数年して愛犬ダン吉も死に
たった一人きりに成った寂しさの上に、
視力の悪化、体調の悪さが重なります。
 そんな時 盲導犬の事を思います。
歩行や生活のパートナーが居てくれれば!と・・

 盲導犬は申請を始め 三年待って、 
丁度60才に成ったばかりの
未だ春浅い頃、トレイスが我が家ににやってきます。
盲導犬と暮す事は、犬好きなな僕はとても楽しみでしたが
ちゃんと生き物の盲導犬を世話出来るか?
病気の時の対応が出来るか?何かと不安もあります。

 盲導犬共同訓練は年の明けたばかりの
1月8日〜2月に掛けての一ヶ月間です。
真冬の山の中の訓練所での生活に耐えれるのか?
厳しい訓練に着いて行けるのか?と、
周りの人が心配して言います。

 訓練所に入って講義など有り、
三日目に僕のパートナーとして
トレイスが紹介されます。
そして僕の60才の挑戦が始まります。

 トレイスとの出会いは
とても感動的!と、言う訳では有りませんでしたが、
二日目の朝、冷たい鼻先でツンツンと僕の顔を突いて
起こしに来ます。
其の時 あー家族が出来たんだ!と、思うと共に
かけがいの無い存在として強く意識しましす。

役所も役所

初めて障害者手帳を貰ったときです。。
はーぃ 此れ読んどいてください!と、
障害者の手引の様な小冊子を渡されます。
 えっ!僕は視力障害ですよ、
字が読め無く成ったから障害者手帳の
公布を受けたんですよ!って事を
窓口の事務員さんに言ったのですが・・・
事務員の女性は 其れが何か?って
鼻で笑うような感じです。

 其れから何度か 障害者の手引の音声化を
お願いしたのですが・・
十年過ぎた今も実現していません。

 其の障害者の手引を読めなかった僕は、
数年の間 障害者手帳の
様々の恩恵に預かる事のないまま送ります。
そして障害者団体の存在も知らないままです。

 パソコンを習い始めて、
障害者手帳を修得すると、
障害等級に応じて、障害者年金を受けられる事や、
交通機関の割引きを受けられる事など
初めて知って、驚くとともに、
数年を無駄に過ごして締まった事が
とても残念に思います。
何故 役所の窓口は其れ輪を教えないのでしょうか?

挑戦チャレンジとは戦いを挑む事なり!

 貴方は難病の網膜色素変性症で
原因も治療法も判らない病気です。
思春期に失明する恐れが有ります!と、
幼い頃 診察した医師から告げられます。
 いずれは失明する!
僕の人間形成の上で其の言葉が
常に陰りと成っている気がします。

 二十歳の頃、そろそろ医学も進歩しただろう!と、
親にも進められて大学病院眼科へ診察に行きます。
何をしたいのですか?
貴方は原因も治療方も判らない難病です。
病院に来てもしかたないですよ!
そんな事を若い医師から言われます。
 医学の進歩を期待して行ったのに、
患者の心を逆撫でするような無情な言葉です。
 其の時から病院や眼科医師は我らの身方ではなく
戦いを挑む相手だと自覚します。

 其れから障害者手帳を修得摺る時、
眼科医師より判定を貰わねば成りません。
我らも網膜色素変性症は夜盲が症状としてあります。
昼間は少し視力の有る僕ですが、
一日の半分は盲人です。
幾ら其の事を主張しても眼科医師は
規定に有りませんから!と、突っぱねられます。
 
 近年 やっと我らの夜盲は視野との関係がある!と
認められ、判定に視野が加わる様に成ります。
それでしたが、我が地の総合病院の眼科医師は、
其れを考慮しようとしません。
其の事を話しても、医師の自尊心を傷つけられた!
と、感じたのか?俄然 拗ねた態度に出てしまいます。
余りの酷さに病院長に訴える事にします。

 我ら障害者の人生を医師に背負ってくれ!とは
言っていません。
ぜめて患者の心に沿って考えて欲しいです。

学友

 歩行訓練は 
たった一泊二日の講座です。
中途障害の同じ不安を持つ者同志、
訓練から6年経ちますが 今も学友です。
気の置けない仲間として
温泉旅行を楽しみ、情報交換や、
励ましあったりしています。

 メーリングリストのメンバーでも
自然と気の合う同志が
個人的な小さなグループを作って
秘密会議と称して集まったり、
大人の遠足もあり、
温泉で美味しい物を食べ、笑って歌って
修学旅行の様にさわいだりしています。

 此の後で書く盲導犬訓練の時の
訓練生とも ずーっと友達です。
同期のM君は盲人としては大先輩で、
いろいろ教わる事は大です。

 不思議なものです。
年齢もまちまちですが 
ほんの短い間でも机を並べたって事で
幼馴染の様な、小学校の旧友のような、
無垢の心で付き合えてます。

フラインドが下りる前に・・・

 60の坂を下る事に成ると
いろいろ不安で
 生活訓練を受けようか?
盲学校に行こうか?考えます。
京都ライトハウス、神戸視力障害センターや
県内の盲学校や視力障害センター等など
見学や体験に行きました。
 しかし数ヶ月 または数年と家を空け、
進行中の日常 作品の制作や出品をしたり、
庭の鉢や花木の手入れができなくなると、
思い切って入学出来ませんでした。

 でも、独り歩きに自信が無くなり、
一泊二日の白杖訓練を受けます。
 街中や器具に付いている点字が読めたり、
暗闇で点字図書が読めたりするとどんなに
便利だろう!と、15日間の
点字講習をうけたりもしました。

 しかし 少なからず残存視力の有る僕は
まだまだ視力に頼って、
どうしてもそれらは身に着きません。
これらの挑戦は腰折れ状態のままです。

十年進歩無しですが・・・

 あれから10年近く過ぎました。
PCの知識も技術も進歩派無しですが・・

 あの シルバーPC隊のブログで
毎日 日記を書くのを日課にし、
 障害者団体のメーリングに入れてもらい
旅行記などを書いて楽しみます。
 久しく書かなかった文章書きが面白く成って
読んで貰えて、喜んでもらえて,沢山 書きました。
 友達の輪も広がって。日本中にメルトもが出来、
情報交換、交流会と活動が出来ました。

 そして 其の気に成って
文芸大会随想の部に応募したり、
テレビの感想文にも投稿したりもしました。
運の良い事に、受賞したり、
テレビ番組に採用されたり、出演したり・・
豪勢な旅行にも連れて行って貰うとか、
思わぬ体験をさせて頂く事も出来ました。

 今ではパソコンは人生の重要部分で
切っても切れない間です。