月別アーカイブ: 2023年7月

夕ドラー59

  あれあれですね! 麻ドラの主人公が 小学校も中退であるのみも関わらず 東京大学にて 研究を 奨める事かできたことから 受験もしないで フランス国立美術学校にて アトリエを 自由に使わせてもらった 自分の事を重ねて 思い出を書いてきました。  すっかり 夏のバカンス休校の間の
 スペイン旅行で 道草を食ってしまいました。
   では ここで話を 戻しまして 出品した  全国フランス国立美術学校店が 開催される日となります。  前回の る サロンの時のように 僕の作品だけが 会場のソファーの上に 放置されていないか ドキドキです。
 学校に行く前に 会場の グランパレに向かいます。 古典様式の  パリ一番の展示場の巨大な柱を連ねた  エントランスが バリケードのような 拒絶間でせまってきます。

夕どらー58

 夜行に乗って 南フランスから パリに帰りつきます。 まだ 8月半ばだというのに どことなく 秋を感じさせます。  此方の学校は まだ 一か月ほども先の 9月半ばから新学期です。
 新しい芸術の刺激を求め 近代美術館とか 画廊回り 本屋などうろうろして過ごします。
そうそう 郊外にある ロダンのアトリエをそのまま びじつかんになっている所を訪ねます。 あの 大作を生み出した所にしては 思いのほか 小さな 田舎やでしたが 製作途中や 年度のままの さくひんもあり ブロンズの完成したさくひんしか見ていなかったので 力強いこて使いが伝わってきて ぐらっと めまいがしました。
 そういうところは 無理してでも フランスに来たことが 良かったんだ と独りで悦に入ります。       

夕ドラー57

 折角ですから 南フランスのあたりを 少し見ながら パリに帰ることにします。 有名な ゴッホが 明るい太陽をもとめて 一時 暮らした アルルに行きます。  アルルで 鮮やかな黄色の向日葵の 傑作が描かれました。  しかし残念にも 向日葵畑は目にすることはできません。  かわりに もう一つの特徴的な 糸杉は もこもこと 明るい南の太陽は感じさせず あちらこちらに あつかましく 茂っています。 それは 止んでいくゴッホの精神のようでもあり ちょっと暗くなりました。
  もう少し 西寄りの プロバンス地方の セザンヌの故郷も 立ち寄りたかったが 油絵を始めたころの 感銘した えエコール ド パリ の画家が 少々 おもくなり  もう いっぽ先に進んだあーとに 歓心が強くなり アメリカに行きたいな と 心の底で 沸きあがるものを感じるようになりました。

夕ドラー56

 マルセーユです。 幼いころから 失明すると診断された視力です。 その反動からか 物を見て 捉えることに執着が生まれ 絵を描くことに興味を持ち 毎日 会がすることが遊びとなります。
 中学では 美術の時間に 講義もあります。 教科書には ギリシャ文明から ルネッサンス  そして近代絵画の様々なさくひんまで 色鮮やかに紹介されています。
 油絵にあこがれ 買ってもらった 日本の 近代作家の生い立ちや 活躍を知ることとなります。 明治以降では 画家の目はパリ画壇の憧れで 沢山の 渡航が記録されています。  そのころは 日本郵船で インド洋を経て 一か月もかけての 旅です。  
 僕も 視力のある間に ヨーロッパの全ての美術を見てみたいと 高校時代から ひそかな夢と 望みでした。 当然 両親は そんな事例の無い かいがい旅行は    視力のことも重なって 猛反対でした。 それから 現実に ヨーロッパに目指すときになり日本郵船に問い合わせますと 一昨年から 優先の其のコースは 廃止となっております との返事をもらいます。  いま マルセーユの港に立っております。 もう少し 3年も早かったら 此処から 僕のヨーロッパ旅行は 始まったのか!と ひなびた港で 考え深く 暫く 鴎の飛び交う様子を眺めて 過ごします。

夕ドラー55

 シネマスコープの雷ショーを楽しんでいる場合ではありません 深けていく スペインの 荒野の真ん中で とうとう 列車は止まってしまいます。 乗客の皆さんは ぞろぞろと降りていきます。 えっ またですか? 駅舎の土間の お泊りになるのですか・  外を見ても ホテルの灯りなどもありそうでも 有りません。 あー  うー と考えあぐね 独り意を決して 列車にとどまることにします。 車掌も駅員も 誰も 声をかけに来ませんし・・・
 こ一時間もすると雷鳴も落着き また 乗客の皆さんも ぞろぞろ 乗り込んできて 列車は 音もなく動き出します。
 スペインの列車は 日本と違い 出発のアナウンスなどは あったことがないような・・・ 遅れても 気にしないような?感じです。
 プレーゴー パサーアポルテと のんびり声で 通関の役人が  通っていきます。判を押すでもなく国境を越え フランスに 戻ります。
 しるぶぷれー シルブプレェ と 座席の間を ちらちら見ながらだけの入館検査です。 こちらも 入館の印はおされません。 僕はフランスのピザを取っていないので できれば 滞在期間を伸ばすため に夕刻日時を入れてほしいのですけどね!

夕ドラー54

シッチェス3日目です。 今日は スケッチをして回ります。 教会の丘の向こうは 日本の漁村のような佇まいの集落です。
 この日から20数年も過ぎた頃でしたか テレビの旅番組で 此処が 紹介されてました。 すっかり 立派なリゾートホテルや マンションの立ち並ぶ 今人気のイタリアのアマルフィーに負けない それに パリの街角かとも思う リゾート地になっていました。  さっそく あの時 シッチェスで出会うはずだった 友人に連絡します。 テレビ見たー 見た 見た 凄くデラックスになってたね。 人気なんだね! と 昔を懐かしみ筒も その変化に驚き 盛り上がってしまいます。
 次の日の朝は ゆっくりと オープンデッキの 最後のバカンス気分をのんびり 味わって 荷物をまとめて 駅に向かいます。
 まだ パリの学校は夏休でしょうか・・・ 急いで帰ることもあるまいと思いつつ 何処に 寄り道しようかと 観光ガイドブックをひらいてみながらとりあえず マルセーユ方面 行きの列車に 乗り込みます。
まだ 夜には早いかな と思っていましたら 見る間に当たりが 真っ暗になり 轟音と共に幾本もの稲光が荒れた大地に  突き刺さるように  降ってきます。 夜目の利かない僕の目にも 地平線の向こうまで 一瞬 一瞬 恐ろし気な光景を 青白く浮かび上がらせます。

夕ドラー53

 二日目の夜は 海岸道理に えーこんなに 人が居たのだ!と びっくりの人達が ぞろぞろと 群れています。
 まだ夕食を食べ終わっていないのにポンポンと 夜空に花火が 始まります。 毎週 土曜日は 丘の上の教会あたりから花火が 打ち上げられるのです。  僕も ウキウキ気分になって 早々に夕食を切り上げ 残している サングリアを部屋に置いてきて 海岸まで 出かけます。 海岸道理にはフリーマーケットも出ていて 踏んづけたり ケトバシテしまいそうですが・・・ 人波に沿って そろそろ行きます。 あれ 日本の女の子も 店を出してます 。  日本の我が田舎町でも見る 大空一杯に 広がるほどの豪勢なのは有りませんが 野菊の祭典紫陽花畑ほどの物が次々上げられます。 クライマックスあたりで ナイヤガラの滝が教会の 広場一杯に広がり しぶきをあげて散ります。  後で聞いた話ですが・・・ 先週はお祭りでもあったとかで 教会全体に滝のしぶきがかかる仕掛けになっていて 見ごたえがあったそうです。 えっ そんなの知っていたら 先週繰れば良かった!と残念です。 今どきのように みんなが携帯電話を持っていたら 情報の交換ができたのでしょうが・・・
 喉が渇きました。 早く帰って サングリアを飲んでねましょう! 昼間の海水浴で焼けた 背中が ひりひりしています。

夕ドラー52

 避暑地の夜は なかなか暮れていきません。
ビアガーデンも おお賑わいです。
 スペイン旅行の日々を思いだします。 廊下で 納屋で 駅の土間で寝た世もありました。 今夜は清潔な バストイレ月のホテルです。 枕元に歯 冷えたサングリアも在ります。 あっ そうそう サングリアが陶器の水差しに入れてあるのは 陶器の気化熱の原理で 中身が温まらないからだとか?と聞いたような・・・
 ゆっくり眠り 麻です。 地中海の夜は さわやかに空けていきます。 オープンデッキのレストランに 降ります。リゾートの朝は どこか気だるいにおいもします。
お飲み物はと聞いてきます。 ビールやワインのことでは有りません。 麻はコーヒーか紅茶の事です。 では カッフェオレで ! 弐敗お代わりしましたね。
 湾のように弧をえがいたかいがんせんのむこうの丘に 小さな教会があります。 あさのさんぽは あそこまで行ってみることにします。 スケッチに歯 グッド ロケーションです。
 午後は 熱くなります。 昼寝でも と思ったが・・・ 折角ですから 地中海で およいでみようかと  なまちぃろく 弐ごとに貧弱な からだをさらして 突堤に行きます。 向こうの おにいさんたちから ぴーって 口笛を鳴らされます。
 変える泳ぎに犬かきをミックスして 泳いでいると 浮き輪が飛んできます。 小父さん 溺れてはいないんですけど・・。

夕ドラー51

 ホテルの夕食は 久しぶりです。 席に座るとホテルの宿泊者の照明に ルームキーを   テーブルの上に載せます。 そうすると 何を飲むか?と聞かれます。 日本だと とりあえず ビールなんですかね! 余り 飲めないので 水を頼みます。 わー 出てきたのは ガス入りの水です。 失敗失敗 これも苦手です。  どこかから サングリアと オーダーする声が聞こえたので 僕も 追加で 頼みます。
 小型の陶器の水差しに入ったサングリアが届きます。 ワインや果物が入り 軽く飲みやすくなっています。 あー そうそう 氷もたっぷり入ってます。 日本のように水を頼んでも 氷など入ってませんから それだけで 嬉しくなります。 冷たいスープに サラダ 肉料理と続きます。 デザートの事は 思いだせません。  久々の 夕食で 満足です。 あ まだ サングリアが残っています。 部屋に 持って帰ってもいいか?と聞けば OKだったので 大切に抱えて 部屋に持って帰ります。 これで 今夜の水分保久も大丈夫です。 切り込まれた果物がに ワインが染みて すっぱくって 甘くって  美味しいのです。  窓の下の海辺からは いつまでも  ざわめきが聞こえています。

夕ドラー50

 しかし シッチェスに誘いのメールに歯 保険がかかっていたことを思いだします。  もし 出会えなかった場合 次の住所のYさんを訪ねてみてください!と 書き添えられてありました。 では ここに荷物を預ってもらって 住所のところへの道も教えてもらいます。 メイン通りを まっすぐ海に向かっていけば良いようです。
 しばらく行くと ゲタ履きの  お兄さんが向こうから やってきます。 久々の 日本人です。 Yさんって人 知ってますと聞けば 直ぐ 右の建物を 顎で教え 3がいだよ と言います。  わーぃ 一寸幸運がついてきたようです。
パリで知り合った Sさんに聞いてきたことを話すと・・・ それは 残念でしたね。 では と 一緒に ホテルを探してくれることになります。 正に バカンスの真っ只中 なかなか 一人用の 空室は見つかりません。 とうとう 一番端っこまで行ってしまいます。 でも そこに 一部屋在りました。 もう一つ 幸運が重なります。 リゾートマンションの 麻と夜の食事付きで 今までになく 高額ですが Yさんの親切にも感謝して えーぃ 張り込んじゃえと3泊 入れてもらいます。 引き返し 駅前に預けた荷物を取りに行きます。 流石    午後の日射はきつく汗だくだ句です。
 部屋に入り 一休みすると そろそろ 夕食の時間です。 イギリス ドイツ フランスからの 避暑地になっているのか 様々の言語が飛び交う 夕食にしつらえられた ビアガーデンのようでもある 鵜海に向かっての オープンデッキです。
 一寸ましな シャツでめかしてきた僕も すっかり すっかり リッチな 客に見えるだろうか・・