線香の香りのなかで・・・前編

全国文芸大会で一位に成りました。
   ・線香の香りの中で思い出す。
 「お爺ちゃんのお手伝いだ」と、我が家の愛犬ダン吉は勇んでいます。アスリートのスタート地点の顔をしています。見ている僕を無視します。お爺ちゃんの運転するトレーラーのハンドルにリードを掛けて貰い、お爺ちゃんと畑仕事に出かけます。エンジンがかかりギアが入り、さぁ出発です。ダン吉は力いっぱい引っ張ります。エンジンで動いているのだからそんなに力を入れても仕方がないと思うのですが、ダン吉は本気です。身を低くして、腰に力を入れ、前足で地面をかいて進みます。ダン吉は毎日お爺ちゃんと畑に行きます。畑ではトレーラーの運転席でお昼寝です。

 ある日、庭で変な音がするので出てみると、トレーラーがひっくりかえり、お爺ちゃんは声も出せず。倒れています。その横でダン吉は、お爺ちゃんの顔を見たり、怖そうにエンジンを見たりオロオロしています。年老いたお爺ちゃんはそれから後、トレーラーの運転をやめます。もう、ダン吉と畑にも行きません。

 その年の秋の初めの真夜中に、お爺ちゃんは救急車で運ばれて行きます。出て行く救急車に向かい、ダン吉はウォーン、ウォーンと泣くのです。その日の朝になっても、昼になっても、やるせない気持ちを抑えられないように、尻尾をたれ、右に左にと低い声で泣くのです。二晩泣きとおします

 そして、その冬、お爺ちゃんは、家に帰る事無く逝ってしまいます。
 自宅での葬儀でした。沢山の人の出入りがあります。でもダン吉は、誰にも吼える事無く、体を丸くして、尻尾で顔を覆い静かに丸まっています。かなり大きな犬だったので、他人は恐がったりするのですが、その日は立ち上がる事もせず、誰も恐がらせません。
 「この子は良い子だね」と、お手伝いの小母さんも言います。
 「今日はワンワン言ってはいけない事を知っているんだね」と、感心されます。
 褒美に貰った器いっぱいのご馳走にも口をつけず、通夜から告別式と3日間、うずくまったままです。

 その日から僕はダン吉とお爺ちゃんのお墓参りに行きます。花立に水を差し、墓前に水を上げ、線香を立てます。線香の煙が揺らめいて、その香りの中で、在りし日のお爺ちゃんを思い出します。
 でも何故か、ダン吉は、「ワン、ワン、ワン」と、早く帰ろうと言う様に吼え続けます。
 「お爺ちゃんに会いに来たんだろ」と、言っても、唯、ワンワンと帰りを急かせます。

 帰り始めると、ダン吉は安心した顔になり、無心に僕を引っ張ります。目の悪い、よたよた歩きの僕を黙々と引っ張り家に連れて帰ります。我が家に着くと、ダン吉は”ほっ”とした顔で座ります。