ホテルの坊ちゃん おすすめの景勝地へ 朝からバスに乗って出かけます。 バスは ほとんど ガラガラです。 マラガの喧騒を離れると なだらかな丘の道を 東にと行きます。 眼下に歯 マダカスカル海峡が見渡せます。 此方にも 日本の盆の里帰りと同じ 風習があるとは知らず 来てしまい 人とお土産と荷物と車の混雑で モロッコやサハラ砂漠に歯行けませんでした。
海峡は 瀬戸内より広く 島もなく 大海を望むように 向こう岸は 夢と同じく はるかにかすむだけです。 また いつか挑戦するよ!
ホテルの ぼくちゃんの 教えた三か所の景勝地たらを バスで見て回ったのですが
何の事ない 高級そうな いまでいう デザイナーズ ホテルで 日本の海岸線のような 面白味もなく 海辺にでも降りて行って 水遊びをするぐらいしか 省も無いところです。 北たヨーロッパやアメリカからの リゾートです。
沿うとわかったら 引き返していき 次の目的地 グラナダに急ぎましょう!
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夕ドラー40
強面親父は 200円ほどを握らせたらさっさと言ってしまいました。 なのに ホテルの人はでてきません!? どこかに顔を出しているのか知れませんが カウンターと思しきあたりにも 電機はつかず 僕にとっては 真っ暗です。 仕方がないので取り付く先がないので 荷物をもって 外に出て 隣りのホテルに 当たってみます。 ここも 廊下のベットでよければ と直ぐに 2階の 廊下のベットに 案内されます。 ベットの反対側は 中庭に面した大きな窓があり 明るくいい感じです。 部廊下の曲がり角のところに トイレと風呂があり ここをを使うようにと言われます。 一泊素泊まりで 800円ほどだったと思います。 パリでは バスルームだけで300円を取られていましたから まーぁ 妥当かな!?
さて 明日はどうするかな?と 観光案内を見ていると ホテルのぼくちゃんかな?下手なフランス語で話しかけてきます。 リエゾンも鼻濁音もなく ローマ字世にの発音です。 スペイン語は 津刷りをそのまま老マジ読みで通じるから 総なんだろうね。 日とのことを言えませんが 僕も 老マジ読みのフランス語の上 その少年ほどもというか 百分の一ほども 単語も知りませんのですが・・・
折角 スペインの南の端まで来たのですから 何処か 良いところはないのかな? ここも ここも ここも とってもきれいな風景だよ!と 教えます。 じゃ 明日は行ってみるかな! バスで行くようなので バスの乗り場 など聞き ゆっくり風呂に浸かって寝寝ることにします。 廊下なのに他の客も通ることもなく トイレにも誰も来ないし 静かです。 疲れも頭痛も収まります。
夕ドラー39
夕方になります。 もう一度 港を見に行きますが・・・ 人の数も 車も減る気配はなく いやどんどん 増えているようです。 堤防のかげを確保して 夕食にしようとしている家族もいます。
僕は あきらめ ホテルを探すことにします。 その時 大柄な強面親父さんに声をかけられます。 荷物を持ってやるよ!と言っています。 そしてどこへ行くのだ!と聞いてきます。 今夜のホテルを探していると 言うと ついてきなと 僕のバックを抱えて 先に歩き出します。 危ないかも と思いますが・・・ 後を よたよたついていきます。
後ろから また誰かが声をかけてきます。 おい あの親父は危ないぞ! 金を請求されるぞ!と 忠告してくれてます。
そうだろうな と思いますが くたびれ果ててるし 頭が痛いし もう どうにでもなれ!って感じです。
ごっ追親父さんは 手じかなホテルに入って 交渉してくれてます。 廊下なら ベットはるが と言われます。 まあ それでもいいか!と思って 荷物を受け取り 親父さんに 小銭を握らせます。
夕ドラー38
街角で あれっと思うほど四国の田舎で出会うような顔のおじさんが 時々います。
日本を出て 2か月になります。 そろそろ ホームシックの幻影でしょうか? 年を取った 爺ちゃんたちは 白髪頭のせいで とても似てきます。
観光案内によると 17世紀 巡礼団が住み着いたという 日本人村が 少しお口の ポルトガル方面に在るらしく 今では 日本人と言う ハポン野姓名を持つ子孫が5百人異常も 住んでいるとかです。 それもあって 身近に感じてしまいます。
それから 僕は もっと見何に下がり マラガからアフリカ大陸へ 向かおうかと思い そうです ぱりで コレラのワクチン盲ッてきました。 しかし 日本の盆の規制ラッシュ宜しく とてもとても みなさん お土産か何か ものすごい 引っ越しかと思えるほどの 大荷物 列車無いはうごきもとれません。 親切な 人がいて 二人用の座席の 端をあけ 座らせてくれますが 熱気で 行きも絶え絶えです。
マラガ港は自家用車や荷物の持った人の山で 近づくこともできません。 暑さにやられたのか熱も出てきます。
夕ドラー37
冷たい水が出ると言っても 生水は飲むことは やめとけ と注意がありますので 洗面器の中で 水を出しながら 西瓜をくるくる回して 冷えたほどでも無いだろうが カッターナイフでほじって食べてみます。 太陽いっぱいに浴びた 西瓜は 力強い ジャリっとした甘さです。
トレドもそうでしたが セゴビヤも 一寸高いところから 全部が見渡せるほどの 小さな 街で 周りは黄土色の乾いた地面に 殺伐と乾燥されて取り囲まれているばかりです。
こんなにみずみずしい西瓜は 何処でできたのでしょうか? そうそう 西瓜ばかりでなく あの露天に歯 ピーマン 茄子 きゅうりなども・・・ 立派に成育されて売って居ましたが 何処から 持ってきたんでしょうかね> そんな疑問も起こりますが この大きなスイカのおかげで 2日間 喉の渇きを うるおせます。
夜は ホテルの前の 入り口あたりは 地元のオチャンたちが BARバール という言われる 居酒屋で ワイワイ立ち飲みです。
おい兄ちゃん何処から来たんだ! 何を飲むんだ ワインをいくか と 引っ張りまわされ 奥のレストランに行けません!
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夕どらー36
フリーな 一人旅の気安さで 気にいったら もう一泊で スペインを南へ 下っていきます。 小さな街背語尾屋です。 日本人の旅行者は 珍しいらしく 子供たちが ぞろぞろついてきます。 少し 南に下った 背語尾やは 一気に太陽がきつくなり 軽い食事にと飛び込んだ バールは真っ暗です。 暗さに弱い視力ですから おたおたします。 幸いにも 何処にも 外に 何個か テーブルが出されています。 大体 その席を確保し パエリアで昼にします。 コメ料理は 馴染みやすく 手頃です。
瓶の飲み物を売っている 路上の営業の店が在ったりしますが・・・ 一度買ったのですが どうも瓶の中身は詰め替えられたようで シュワーとこないコーラーです。
野菜や果物を打っている 屋台もあります。 おっ 西瓜が在るではないですか モスクワで見た 皮の色さえ 危うい 奈街ロ位 西瓜と違い 濃い緑に 黒々と縞模様です。
ラグビーボール型の大きいのを一個買います。 とりあえず ホテルに持ち帰り洗面器に水を張って 冷やします。 あ 僕の止まる程度のホテルでは 部屋に水が出るのさえ 稀ですが このホテルは 冷たい水が出るのです。
夕ドラー35
太陽広場のあたりは まだ早い時刻から フラメンコの歌が 通りまであふれ 誘っています。 広場のオープンカッフェでは 12時近くになっても 人々のざわめきが絶えず 子供たちも 騒ぎまくっているし 市内バスが 昼間と変わらずやってきます。 これじゃ昼寝をしないと 持ちません。
次の日 プラド美術館に行きます。 これで ヨーロッパ三大美術館を見て回ったことになります。 美術の教科書や名作と誉れの高い作品は ほとんど 見たことになりますか!?
次は スペインで一番言ってみたかった トレドに向かいます。 山頂に 大きな協会をのせた 城塞都市には その地を愛した エルグレコの作品を飾った 小さな美術館が 有り 今も芸術家が 沢山住むんでいると聞きます。
夕ドラー34
心強い 多比のみつづれを得て 無事 パリに到着です。
到着したパリは バカンスの真っ只中 市民の半分は休暇中 街も 美術館も 学校も休んでいます。
で ウィーンで知り合った フランクフルト大学で夏期講習中の 大君のところに 遊びに行ったりしましたが まだ パリはバカンスです。
で かと言って そのころのパリは 27〜28℃程度の暑さです。 休むほどでも無かろう と思ったりもしますが・・・
で 学校などが始まる間に っスペインに出かけてみます。
マドリッドは 流石 熱いです。 昼間は熱風で外を歩けません シエスタと称するお昼寝タイムで 0時から4時ぐらいまで 店なども休みです。
少し 日が傾き始めたころ 散歩に出ます。 中心街の交差点で 誰かが 僕を よんでいます。
あつ 同じナホトカ号で モスクワまで 同じ行程で 時々見かけていたし 一寸だけ モスクワの市内見学が一緒だったりして 今回 見かけた女性では 一番 いいこだなと思っていた 彼女です。 地女子大生 三人組だと思っていたが マドリッドの街中で 一人きりです。 おっ 情熱のフラメンコが オオーオレー オレ オレです。
夕ドラー33
モスクワからウィーン経由で ヨーロッパへ入っていくメンバーが 数名いるようでしたが 列車に歯 誰も乗り込みませんでした。
とりあえず ホテルを予約して ウィーンの中心街に出かけます。 ウィーンの森の入り口の っモーツアルトの銅像の前で 見知った 日本人を見かけます。
君はさ かのじょといっしょだったのでは?と聞いてみます。 ナホトカ号の船の乾パンで 彼は ずーっと彼女と肩を組み 身を寄せ合い 僕らがホッケーゲームを楽しんでいる横で 暗く 居たのが 思いだしましたが 明るい 浪漫てぃくな ウィーンで 一人です。
あれは 彼女でも何でもないよ!?と言っています。 なぁーんだ 駆け落ちでもしてきた二人かと 噂になったりしていたのですけど・・ ・ その夕方 もう一度言ってみた オペラ座の前で パリへ行くといっていた了君と 出会うことができます。 これで 旅は道ずれ です。 あー 安心したら 腹ペコなのを思いだします。 フランクフルトの夏期講習の外語大の学生さんもいたので 心強く 夕食を楽しめました。
了君とはその後もずーっと連絡があります。 20年前 パリの音大を出て 個展楽器 クラベサンの制作をしている パリから 2時間ほどの 田舎町へ 訪ねていきます。 廃校になった小学校の一室を借りた工房は アーティストたちが制作するには とてもいい環境だと 僕にも 移住を薦められましたが・・・
そこの小さな教会の墓地に案内され おれは 此処に眠るんだと言って 崩れかけた十字架が寂しくある 片隅を示されます。 人生の 春に出合ったわれらも そろそろ 秋の終わりでしょうかね!
】夕ドラー32
まだ 明るいけど 22時です。 寝ておかねばとベットに入ります。 少し眠って 目が覚めると もう外は明るいです。 時計を見ると 夜中の2時過ぎです。 そうそう 思えば 今が一番昼間の長い夏至のころです。 白夜というわけでもありませんが 暗い夜は ほんの少しだったようです。 夜中だと思うが 明るい外に出てみますと 今 日本から付いたという 日本からの旅行者が はしゃぎながら 写真を撮りまくっています。 国会議事堂とかモスクワ大学の 奇妙に とがった建物が背景です。
飛行機で飛んできた リッチな団体旅行者達は若者の多い 列車でとことこやってきた 我らと比べ テンションが 奥さんが多く 華やかです。
小母さまたちは 毎ヨ亜代り映えもせず 出される ゴム草履のようなステーキと ぱさぱさの食パンの責め苦には まだ在っていないのでしょうね!
僕は その日は一人で 驚くほどたくさんの 印象派の名作がある ぷー手巾美術館を堪能します。
そしてなぜかまた一人で チェコへと向かう列車に載せられます。
チェコ 部だべストを経てウィーンに付きます。 なんだか 地下道を通過して やっと 地上に出たような 明るさを感じる駅で ほっとします。